東光寺について

みどころ

阿弥陀坐像板碑・地蔵立像板碑

尼崎市有形文化財

 

大きさは阿弥陀坐像板碑が112.1cm、地蔵立像板碑は95.3cmあり、鎌倉時代と南北朝時代に造られた物です。

 

当寺院境内の地蔵堂の横から東西に伸びるブロック塀沿いに並ぶ30基の石造物群中にあり、共に完成品です。

 

石造物群は向かって左端(東側)の五輪卒塔婆1基に続いて一石五輪塔などの小塔19基が2列に並び、右手(西側)には板碑など10基が一列に並んでいますが『阿弥陀坐像板碑』と『地蔵立像板碑は10基の石造物列の向かって左から2番目、3番目に建てられています。

 

阿弥陀坐像の背面は船底形で身部の上半部には船形輪郭を掘り込み、内に定印の阿弥陀坐像を刻出し、下に蓮華座をすえています。

 

全体の構造洋式や尊像、蓮華座の手法などから鎌倉時代後期に造立されたものとみられ、尼崎市内に残る最古の板碑です。

 

地蔵立像は南北期中期頃造立と考えられています。

 

地蔵立像板碑も同じく背面を舟底形、身部の中央上部より舟形輪郭を彫り込み、内に棒珠持錫の地蔵立像を刻出し、下端には蓮華座を刻む。

 

 

碑伝形で銘文等も刻まれていないが、規模がやや小さく、構造様式や尊像などの手法から、南北朝時代中期頃の造立にかかるものと推定されます。


千体地蔵

1704年東光寺九代の本蓮社誓誉が版木をつくり、この木版刷りを広く檀信徒らに配って船体地蔵菩薩彩光の勧化を行ったことが知られています。

 

千体地蔵と称する小形の地蔵尊を多数造って安置するのは、諸説に無数の分身をもって十方世界の衆生を教化するとあるのによるものです。

 

本史料は江戸時代の民富形成期の一般庶民に対して地蔵菩薩の霊験記や地蔵菩薩感応伝などより幾つかの事例を引いて、千体地蔵菩薩の形像をいろどりえがき、あるいは土、石、にかわ、うるし、金銀銅鉄をもって菩薩を造立すれば、その功徳により一切衆生の苦が除かれ、また父母への孝養のはしりとなるなど利益を説いて勧化をおこなったものです。

 

当時の檀信徒がこれに答えて延滞地蔵堂をもうけているところに、当時の世相と地蔵信仰の盛んな様子をうかがうことが出来ます。